小児在宅医療における課題
私は病院の勤務医を続けながら在宅医療を行っています。本日は在宅のゴーシェ病兄弟例を紹介しながら、在宅医療の取組みと課題についてお話したいと思います。
小児在宅医療における課題としては、次のようなことが挙げられます。
  • 在宅移行支援の充実
  • 入院ベッドの確保(緊急時のバックアップ及びレスパイト)
  • 小児に対応できる訪問介護ステーション
  • 医療、福祉、教育、行政の小児在宅医療への理解と連携(コーディネート)
まず、在宅移行支援では自宅に帰るまでのサポートが非常に大事だと考えています。また緊急時の対応も非常に重要です。前田先生のように在宅で治療していただける先生がいればいいのですが、なかなかそうもいかないので、入院して治療していることが多いです。
また、当院ではレスパイト病床を8 床確保してあるので、それを利用して、特に人工呼吸器管理児については、家族の休憩を入れながら在宅を長く続けられる仕組みをつくっています。
自宅に帰るまでの流れ(在宅移行支援)
熊本再春荘病院では、中間移行施設としてNICUなどの急性期医療後の子たちを自宅に帰す在宅移行支援を行っています。例えば人工呼吸器管理児は在宅移行支援に大体3カ月間かけるようにしています。私がNICUに勤務しているとき(10年以上前)は、痰の吸引など、いろいろ練習してもらって1週間ぐらいで帰していました。ところが、例えばマーゲンチューブが1本入っているだけでも泣きながら毎日生活しているお母さんたちがいたりします。そんな在宅での生活を知った時、私たちが考える医療ケアの重さとご家族が感じる医療ケアの重さにはずれがあって、ちょっとした医療処置であっても、ご家族にとってはとても負担であったりします。あと、周りの健常児を見るのがつらくて、家に引きこもっているお母さんたちを見た時に、まず自宅に帰るまでの準備をしっかりしなければと思い、3ヵ月間の在宅移行をしています。
その間に、在宅側の訪問看護ステーションや保健師、行政の方等も含めたカンファレンスを2 回必ず実施するようにしています。そして院内の体験宿泊と自宅への外泊を行い、ご家族の不安がある程度軽減したところで退院という形になります(図1)。
3ヵ月という期間を最初にお話しすると、ご家族からはやはり長いといわれますが、実際に3ヵ月間過ぎたときには少し不安があって、結果として4ヵ月になるご家族もいるので、大体3ヵ月を目安にしています。実際にさまざまな障害福祉サービスの手続きなどをしていくと、3ヵ月はあっという間に過ぎていく感じがします。
当院では2004 年から在宅移行支援を行っています(図2)。はじめは年に1 例ぐらいでしたが、最近は年6~7 例の依頼があって、今までに56例の子どもたちの在宅移行をお手伝いさせていただきました。重症例の依頼が多く、52%が人工呼吸管理、8 割以上が気管切開管理、胃ろう、もしくはマーゲンチューブの子が100%です。あとは、兄弟児で長期間の付き添いが難しい子たちの依頼や、シングルマザーの家庭や貧困家庭など在宅移行が難しい子たちが大学病院などから相談に来られています。
当院でのレスパイト入院の進め方
レスパイトケアには日帰りや宿泊、訪問支援があります(表1)。宿泊の場合、特に重度のお子さんに関しては医療機関で預かるのが一番安全かなと思っています。医療機関でない施設でも宿泊を行っているところはありますが、やはり事故などの不安があります。私たちも10 年以上かかわっている中で、お預かり中の急変などを経験したことがあり、そういったときにご家族もスタッフも大変な思いをしたことを見ると、宿泊レスパイトは医療機関においても夜間は非常に少ない人数のスタッフで診ているので、福祉施設や小児科医がいないようなところで無理に預かる必要性について検討の余地があるのかなと考えています。

当院のレスパイト入院は、人工呼吸器管理児に関しては月に6泊7日を限度として受けています。登録者は40名近くいて、そのうち約半分が人工呼吸器管理児で、定期的に利用される方がほとんどです。
退院後にレスパイト入院をはじめないと、預けることに親御さんも躊躇するようになるし、医療スタッフも普段から診ていないと怖いというところもあるので、初めて自宅に戻ってから1ヵ月以内に必ずレスパイトの予約を入れるようにしています。1ヵ月間頑張ったらまた預けるという形で定期的に入れることで、私たちも対応に慣れるし、親御さんたちも預けることに抵抗がない状態でスタートできます。
余談ですが、最近台風などの災害が多くなりましたが、私たちは10年以上前から台風の緊急避難入院を受け入れていまして、台風が直撃しそうだということがわかった時点で病院のほうに避難してきて、台風が過ぎると自宅に帰るということをやっています。そうした緊急避難を日頃から経験していることで、熊本地震のときも約20家族ぐらいが緊急で避難してきました。そのときは、ご家族皆さんも来られたので100人ぐらいになり、断水のため食事が提供できず、全国からいただいた物資などで対応したりしました。
これからの小児科病棟のあり方
小児科病棟の経営はなかなか難しく、医療の進歩などで急性期の入院が非常に減っています。当院も年間を通して重症の基礎疾患のある子たちの入院が常に2~3割いるような感じなので、小児科単独で病床運営をしようと思ったときに、基礎疾患のある子どもたちを避けて通れないというか、基礎疾患のない子どもたちだけで急性期病棟を回そうと思うと、相当な人口のエリアでないと難しいのかなと思っています。
同じ肺炎にしても、基礎疾患のない子だと数日で退院することが多いですが、基礎疾患のある子たちは、やはり2~4週間ぐらい入院することが多いので、病床管理上もこういった子どもたちをしっかり支えていくことが小児科の入院病床のある病院の役割としても大事なのかなと思います。
認定NPO 法人NEXTEPの活動
もう1つ、在宅側から支えるということで、私が病院以外にNPO法人を設立して、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、通所支援事業所などを立ち上げています。病院と在宅の両方でうまく支えられたらと思っています。
ゴーシェ病兄弟例(第1子の経過)
ゴーシェ病のご兄弟の経過と在宅支援についてお話いたします。第1子の男の子は生後1~2ヵ月より前頭部をカクッとするような前屈発作と左右に首を動かしたときに目が残る眼球運動異常がみられたため、生後11ヵ月で当院を受診。MRIと脳波で異常がないということで3ヵ月後のフォローとし、この時点では診断に至りませんでした。
そこから3ヵ月を待たずに、腹部膨満と身長の伸びの急激な悪化がみられたため、1 歳1ヵ月で再診。肝脾腫と成長障害、血小板減少を認めました。
家族歴を聞いたところ、お父さん、お母さんのそれぞれの母方の兄弟に4歳、12歳の死亡例があり、遺伝的な病気の背景も考えながら検査を進めていきました(図3)。
その後、熊本大学付属病院の遠藤先生に酵素活性を測定していただいた結果、酸性ホスファターゼ(ACP)高値、グルコセレブロシダーゼ活性低下、遺伝子検査にてIVS2+1/M85T変異ありということでゴーシェ病の診断を受け、1歳2ヵ月からセレザイムによる酵素補充療法(ERT)を開始しました。
ERTにより肝脾腫、血小板減少、貧血は改善しましたが、神経症状や呼吸器症状はなかなかよくならず、誤嚥を繰り返し、3歳のときに自宅で心肺停止、気管切開され人工呼吸器管理となりました。その後もゴーシェ病関連間質性肺炎を繰り返し、喉頭気管分離手術を行い、在宅になっています。8歳で自発呼吸が徐々に浅くなり、24時間人工呼吸管理が必要になり、現在13歳でERT継続中。ミオクローヌス発作はあるものの全身の状態は安定しています。
第1子の最近の画像所見(図4)
頚部リンパ節、肺に石灰化が認められます。また、腸管にも石灰化しているところがあって、少しさかのぼって見てみると腸間膜リンパ節から石灰化が始まっています。その後、腸管壁も石灰化してくるのかなという形の画像になっています。
皮膚症状として全身に膨隆疹が出てきました。かゆみはないようですが初めて見る所見で、ゴーシェ病と関連があるかどうか不明です。
ゴーシェ病Ⅱ型の長期生存例の報告は少なく、各種臓器の画像所見などより、今後多彩な症状が出現してくる可能性が考えられます。
第2子女児の経過
兄がゴーシェ病の診断を受けたときに、既に第2 子を妊娠中であったため、生後3ヵ月で熊本大学病院にてゴーシェ病と診断され、生後4ヵ月からイミグルセラーゼによるERTを開始しています(表2)。早期に治療を開始したことで兄ほどの発達の遅れはなく、軽度の発達の遅れとミオクローヌス症状はあるものの良好に経過。
6歳のときに虫歯から敗血症になり、皮下膿瘍形成、サイトカインストームになってしまい、抜管困難にて気管切開を施行。兄妹とも寝たきりで気管切開と人工呼吸管理が必要となりました。そこから数ヵ月後、7歳のときに自宅で突然の心肺停止となり、永眠されています。痰が詰まったのか、もしくはけいれんの重積なのか、そういったことが起こったのではないかと考えています。
在宅での支援体制
この2人を治療するに当たって、当院での在宅移行支援の依頼を受け、兄が3 歳9ヵ月、妹が2 歳7ヵ月の時に在宅治療を開始しました。
2週間ごとの酵素補充療法にレスパイト入院を組み合わせて、ERTを行った日から5日預かって、また自宅に戻るという生活を繰り返しながら診ていきました。在宅側では訪問診療、訪問看護、居宅介護や、小学校入学後は学校の先生の訪問教育などを組み合わせて支援しています。
第3子、第4子の経過
その次に、第3子を妊娠されましたが、熊本大学にて出生前検査を受けていただきました。第3子には変異がなく、ゴーシェ病の発症はないであろうということで出産に至っています(表3)。その後、ゴーシェ病ではない第3子が生まれています。
その後第2子が亡くなられた後に、第4子を妊娠されました。出生前診断でゴーシェ病の遺伝子タイプでしたが出産を決断され、最近になって三男の方が生まれています。現在長男と三男のゴーシェ病2人が治療中です。三男の方はベラグルセラーゼアルファを生後から投与して、まだ生後5~6ヵ月なので、症状なく経過しています。
現在は、在宅にて治療中で、兄は木曜日に入院してERTを行い、レスパイトで5日間お預かりするという形の生活を続けています。弟さんは日帰りでERTを受けています。
第1子の方はERT継続中で、中枢神経症状の改善は認められず、厳しい状態ではありますが、全身状態は安定しています。第2子の方は早期に治療を開始したのですが、結果的には7歳で亡くなりました。第4子も早く治療しながら、予後が少しでも改善すればと思っています。
追加講演
脊髄性筋萎縮症の兄弟例の在宅支援
私が診ている脊髄性筋萎縮症(SMA)の兄弟例についてご紹介いたします。2人ともⅠ型で、生後早期から人工呼吸管理が必要というお子さんです。この方々は、1人目が生まれたときに遺伝子検査して、変異が1つはわかったものの、もう1つが不明だったので、2人目のときに出生前診断ができませんでした。そういうこともあって、2人目もたまたまSMAだったということです。その後、神戸大学大学院医学研究科教授(現神戸学院大学総合リハビリテーション学部教授)の西尾久英先生に遺伝子検査を再度お願いして、遺伝子タイプも確定しました。
在宅に移行してからは、おがた小児科の医療型短期入所とNPO法人NEXTEPの児童発達支援事業所を組み合わせて利用しています。
図5は2人の1週間の支援シートで、上段がお兄ちゃん、下段が弟さんです。どちらの施設も送迎つきで、看護師とヘルパーが同乗して福祉車両で自宅まで迎えに行き、施設で預かって、夕方送っていくということをやっています。
また、在宅支援として私のNPO法人が取り組んでいる工夫としては、送迎をしている看護師とヘルパーが、居宅サービスの訪問看護師と居宅ヘルパーとしてお風呂に入れて、帰っていくという毎日お風呂に入れる仕組みをつくっています。
地域の小学校に入学
通所施設ではプールに入ったり、お出かけしたりといろいろな経験ができます。この経験から、お兄ちゃんが小学校に上がるにあたり、地域の子どもたちと一緒に成長していってほしいということで、地域の小学校を選ばれました。
実は就学前に私たちも何回も話し合いをして、就学後も話し合いを持ちましたが、教育委員会から最初に言われたのは、まず、看護師配置ができるかどうかわからない。配置された看護師が人工呼吸器に対応できるかわからない。初めての経験で、病気のことも何もわからないし、どんな授業をしたらいいのかわからない。他校でできたからといって、うちの学校でできるとは限らないといったような厳しいことを言われてしまったのです。それで、最初はお兄ちゃんの学校にお母さんが付き添っていました。
しかし1年間通う中で、他の子に与える影響の大きさみたいなものもあって、実際、お兄ちゃんは指先と目しか動かなくて、目でイエス・ノーが答えられるぐらいですが、その子の家に普通に同級生が遊びに来ていたり、近くの公園に行くと子どもたちが寄ってきたりする。
さらに、運動会を見学に行くと、子どもたちに取り囲まれて、輪の中心にいるような状況で。学校側も配慮してくれて、駆けっこもバギーのまま一緒に走ったり、玉入れも先生方が指先だけではじいたら球が飛ぶという機械をつくってくれて、みんなと一緒に参加できました。
1年間、お母さんが付き添っていましたが、2年生からはお母さんはもう付き添わなくていいということで、現在、学校の看護師さんと先生とで対応してもらっています。
この前、ちょっと感動したのは、校長先生から、お兄ちゃんが他の子どもたちに与える影響は非常に大きくて、入学してくれてよかったと。入学時に「何かあっても学校に責任はない」と学校が誓約書を書かせてしまった。でも弟さんが入学する時には、そんな紙切れは書かせませんので安心して入学してくださいねと言われて、すごくありがたかったなと思っています。
熊本における医療的ケア児の学校への受け入れ
現在、熊本で訪問教育を除き、地域の小・中学校に通っている呼吸器管理児は4名(気管切開下2名、マスク式2名)いて、逆に、特別支援学校に通っている呼吸器管理児は1名と逆転現象が起こっています。これは特別支援学校では看護師に人工呼吸器管理をしてもらえず、親が付き添わなければならないからです。地域の学校に行ったほうが、一定期間付き添わないといけないかもしれないけれど、その後、付き添いが要らなくなる可能性がある。したがって、地域の学校もしくは訪問教育を選ぶということで、特別支援学校に通うという選択は余りなくなっています。
脊髄性筋萎縮症(SMA)の治療
スピンラザの治療を去年の11月から始めて1年ほど経過しています。治験などでは有効性評価に運動マイルストーンといって、運動機能の伸びを点数化する評価法を使用していますが、その点数で1点を取るのは相当大変です。それでも6~7割で効果あったということで、3割ぐらいの患者さんでは効果がなかったかということになりますが、そうした患者さんでも効果はあったはずで、実際に僕らが見ている子たちも効果が出ています。例えば、舌を動かせるようになったとか、指の動きがよくなったり、首の動きがよくなったり、目の動きもかなり意思表示がはっきりしてきているなど、小さいですが効果が見られています。
実際に弟さんは、手の動きも治療前よりずいぶんなめらかになりました。また、首もしっかりしてきているので、将来的には首が据わるか据わらないかぐらいになるのではないかなと思っています。もちろん、歩いたり、喋れるようになるのは難しいと思います。また、呼吸器をつけていますが、漏れた声でちょっと音が出ます。発声量も大きくなっているので、そういった微妙な変化を僕らとしてはチェックしながら、病院の中で倫理委員会も立ち上げて、1年ごとの評価の中で少しだけれども効果があるということでの治療継続をお願いする形をとっていきたいと考えています。ちょっとした変化を記録として残していくことが大事かなと思っています。